こんにちは、CAの桑田です。
昨日、息子が熱と頭痛と歯痛で学校を休みました。
母の体調も悪く、息子の世話を頼むと二次災害が起きそうだったので、わたしもお休みをいただくことに…
それか思いがけず、息子といろんな話をする機会となりました。
息子曰く、
「偏差値が20違うと話ができないそうだよ」
えー、これだけ聞くと、
デキスギ君の俺様発言か?
と思われるかもしれませんが、
彼は以前、偏差値40辺りを低迷し、
英語や数学のテストは20点台もザラという猛者でした(^_^;)
「ん?…そうなのか?」
「んじゃ、君は中学の頃、
先月の自分とは話しができない感じだったわけ?」
彼は、中学の秋頃、
猛然と勉強を始めて、最終的には偏差値60台になったことがあります。
(その後、私のダイエットと同じく、見事にリバウンドしてますが…笑)
「いや、そうじゃなくてさ、
なんか、表現の元になる世界が違うっていうか…
別の世界の人みたいになるわけ」
ふーん、
まあ何となく感じはわかる気がします。
でもそれは、偏差値どうのというだけじゃなくて、「出力の仕方」が違う、ということでしょう。
女性はよく擬音語を使いますよね。
「バーっとやって、
ガーっと走って、
グワーってなったわー」
???
私はこの話をされても、
「あー、何となく言いたいことわかるよ」
と思いますけど、
ある男性は、
「お前の言ってること、全くわかんね。
それで人にわかると思ってんの?」
となります。
彼なら
「急いで準備して、
必死で走っていったら、
すごく疲れたよ」
と言うかもしれません。
つまり、この二人は、
同じことを話すにしても、
出力の方法か違うだけです。
これを全く価値観が違うと決めてしまうと危ない。
あの人とは話にならない、となる。
さっきの偏差値云々の話も、
総じて、偏差値が低いと言われる人は、
テストというものへの出力の仕方を知らなかったり、語彙の種類か少なかったりするだけで、
価値観が違うとか、価値があるかないかの判断基準にはならないと思うのです。
だから、学力という一軸で人を見てしまうと、本人もそれを自分の価値だと思いこんでしまう危うさがある。
奇しくも今朝、超エリート街道を歩んできた明石市長の暴言事件がありました。
あの市長さんも、市民のためなのに、何をモタモタしたんだ!っていう熱い思いがあったんだと思います。
でも、出力を間違えた。
どう出力するか?
どれくらいするか?
そういう意識が持てて、
コントロールすることで、どんな人とも向き合うことができる。
当たり前だけど、
なかなか手強いことです。
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