- CC&Associates 桑田里絵
ジョブズからもらったもの
こんにちは。
CA代表の桑田里絵です。
昨日、スティーブ・ジョブズの演説のことを書きました。
この演説については追々また思いを綴ることになると思いますが、実は私はジョブズ氏を間近に見たことがあります。
今日はそのことを振り返ってみたいと思います。
その体験はジョブズファンにとってはすごいことかもしれませんが、私にとっては、今となるまで特別な思いはありませんでした。
しかし、考えてみると、それは本当に幸運な体験だったと思います。
確か2000年を少し過ぎたあたり、記憶が定かではないのですが、iBookが発売された直後くらいだったと思います。
当時、私は地図ソフトの企画開発をやっており、iMacの発売で勢いに乗るMac版の開発を手掛けました。
その関係で、AppleからWWDCへの招待をいただいたのです。
参加資格はいただいたのですが、ホテルと航空券は自腹。
サンノゼ近郊の安ホテルを取って、毎日バスで会場に通いました。
しかし、私はSEでもなければ、Macに詳しい人間でもなかったのです。
会社としても特に大事な機会とは考えてなかったのでしょう。
Appleから招待が来たから、誰か行かないと・・・というだけで、窓口担当だった私が行くことになったのだと思います。
当時は、ジョブズに会えるとか、Macの聖地に行くといった感慨も無く、残してきた幼い息子のことが気になって仕方ありませんでした。
現地に着くと、WWDCは夢のような会場でした。
そして、Macのコアなユーザー独特の雰囲気、ラフな服装、バックパックに全員iBookを持ってウロウロしている。
そして、ロビーには山に積まれたお菓子やスナック、飲物が常に用意されていて、自由に取ることができました。
数えきれないほどのカンファレンスがある中で、やっぱり特別なのがジョブズの基調講演でした。
会場に入ると、驚いたことに誰も椅子に座っていません。
参加者は、舞台の真ん前、並んだ椅子と舞台の間の床に体操座りをしてひしめいていました。
全員iBookを膝に乗せて、目を輝かせてジョブズの登場を待っています。
さすがにスタート時には椅子も全部埋まりました。
そしてジョブズが登場。
トレードマークの黒いタートル、リーバイスにニューバランスのスニーカー。
絵に描いたようなスティーブ・ジョブズがそこに居ました。
雑誌の写真でしか見たことなかったジョブズ。
それを見ただけで、何か夢の中にいるようで、すごく特別な空間に来たという気がやっとしてきました。
ジョブズは何を言ったのか、そのときの内容は詳しくはわかりませんでしたが、出てきていきなりスタートレックのパロディを始めました。
ジョブズはそういうことをよくやっていたそうですが、私には驚きで、こんなエライ人がこんなことするんだ!と素直に感激したのを覚えています。
良くも悪くもAppleの流儀に慣れていなかったために、そこで体験したことは本当に新鮮な驚きにあふれ、その新鮮さがそのままスティーブ・ジョブズという人のイメージとなって私の中に残りました。
今なら、すぐにスマホで調べて、ジョブズはそういう振る舞いをよくするんだ、とか、WWDCではいつもこういう基調講演が話題になる、とかいう知識が得られるのでしょう。
しかしこの時、何の予備知識も持たなかった私にとってジョブズは、世界中から自分の世界にやってきてくれた若者たちに向けて驚きのプレゼンテーションをする、本当にかっこいい、自由の象徴のような存在となりました。
そのとき感じたのは、「この人は自分の宇宙を持っている。そこで起きてることを話すのがうれしくて仕方ないんだ」という感覚です。
ジョブズは、部下に非常に厳しかったとか、ひどい振る舞いをした、とか、いろんな話が残っており、そういう面も実際あったのだと思います。
いまならパワハラで訴えられていたかもしれません。
しかし、あんな風に、心の底から楽しそうに、うれしそうに、自分の考えたことを話して聞かされたら、そんなこと全部許せてしまう。
あの空気の中で、肌で感じたのはそういうことです。
好きなことを最高の状態でやりたい。
それができたら、周りの人に「これ最高なんだよ!」と伝えたい。
ただそれをやりたいだけなんだ、と。
いろんな手法があると思うんですが、
そのコアがある人が一番強い。
何と表現したらいいのか、うまく言えませんが、
ジョブズに会って、一番感じたのはそのコア=核です。
どんなことをやってる人か、
どんな実績のある人か、
どんな地位にある人か、
何ができる人か、
いくら稼いでいる人か、
・・・
・・・
そんなことは吹き飛んでしまうほどの、ただただ芯のある佇まい。
それだけが、私がアメリカまで行って、ジョブズからもらった唯一のものです。
そして、それはやっぱり私の宝物なのでしょう。
その時の写真は一枚も残っていません。
その頃、今よりずっと海外や国内の旅行に行っていましたが、
ほとんど写真を撮ったことが無く、画像としては何も残っていないのです。
今では信じられないことかもしれませんが、
写真に撮るより、自分の心に刻みたい。
その頃の私は本気でそう思っていました。
写真を見て懐かしむことはできませんが、
写真が無い分、かえってその頃の一瞬が自分の一部となって残っているような気がします。
こうして残った、ジョブズにもらったものを大切にしていきたいと思います。