こんにちは、CAの桑田です。
いままでの振り返り2回目を書きますね。
そんな私がつまづき始めたのは結婚した頃から。
結婚したことに後悔はしていない。
でもこの結婚は破綻に向けて進んでいった。
悪いことばかりではなかったけれど、
相手とちゃんと向き合うことをしなかった。
それが最もいけなかった。
相手には悪いことをした。
相手を悪い状況に追い込み、
嫌なことをさせてしまった。
その罪は消えない。
結婚した相手は毎年失業を繰り返し、ずっと私の扶養家族だった。
彼は足を怪我した後遺症があり、
それが元で一年に一回歩けなくなった。
だから失業する。
それが最初から4年続いた。
しかし彼が悪いわけではない。
子どもはできず、不妊治療を何年も続けた。
それも彼が悪いわけではない。
私達はバイクで出会った仲間だった。
彼はいろんな事情で16から一人で生きてきた。
難しいことはわからないと言う。
ただただバイクと車が好き。
私が話したいことは彼とは話せない。
それも彼が悪いわけではない。
私が結婚前に望んだことは、
「私が働くことに文句を言わない」
「私の母をいずれ引き取る」
「私のバイクの面倒を見る」
それだけ。
それはちゃんと果たされた。
彼は何も悪くない。
選んだのは私。
でも私は、彼に無いものを求めて
外に出て、独立して個人事業を始め、
家で話せないことは外で話せばいい、
夫に望めないことは外でみつければいい、と
夫から逃げ、向き合うことをせず、
自分のことだけ考え続けた。
そして夫は私たちを囲い始めた。
囲うというのは、文字通り
家の生垣を取り払い、鉄の塀を巡らせ、監視カメラを付け、
カーテンが少しでも開いていると怒って閉めるようになった。
息苦しい家からますます私は逃げるようになった。
交流会や懇親会に行きまくり、
必死に自分を売ろうとした。
自分を買ってくれる人にはどんどん入れ込んだ。
そして家庭がどんどん壊れていった・・・
夫は一旦引き取った母を追い出し、
私のPCの中身を全部引っ張り出し、
携帯メールを私より先に見れるように設定して
監視するようになった。
離婚する前、一年の間、家で笑ったことがなかった。
1ヶ月で体重が20キロくらい減って病気寸前。
自分も家庭も壊れていこうとしているのに、
食べることもできず、子供たちを守ることもできず、
ただただ崩壊しそうになっていた。
とうとう「仕事を今日一日で全部辞めろ」という宣告を受けた。
そして仕事関係の誰とも会わない約束をしろと言われた。
私はそれに従い、そこで心が折れた。
そして逃げた。
家を出て、リセットしようとした。
家を出てからも私のパスワードは夫に握られていて、
勝手に変えられていたり、
自分が自分のアカウントに入れないこともあった。
警察に言っても、夫婦間ではどうにもできないと言われた。
全てをリセットして過去を消した。
私を知る人とは誰とも会わなかった。
もう元の講師の仕事に戻る気力は残っていない。
いろんなアルバイトや日銭稼ぎでしのいでいた。
水商売やチャットのような怪しげなこともやり、
自分をすり減らして生きていた。
もう人生が終わったような思いだったが、
ただひとつ監視から逃れ、自由であることが救いだった。
何かまともな仕事をしなければ・・・
本来なら、子どものためにとか、母親なんだからとか
そういう考えで働くべきだったのかもしれない。
でも、そうやって普通の事務仕事をやっても、何も残らない。
結局私が選んだのはヘアメイクの世界に飛び込むことだった。
何も知らない、誰も知り合いのいない未知の世界。
そこは想像以上に厳しく、実力主義の世界で、
20歳以上若い人に「ほんっと使えないわねー」と言われながら
練習を重ね、やっとお嫁さんのヘアセットを担当できるようになったのは一年後。
全く今までの経験が役に立たない世界だった。
年齢や経験よりセンスが勝つ世界。
そこには20歳そこそこで、すばらしくセンスがあり、
現場の仕切りが上手い子がいた。
80歳近いのに、場の空気を一変させるほどの気迫で立ち働く
すばらしい着付けの先生がいた。
彼女らは現場では自分の技術だけが頼りだと知りぬいていた。
誰も自分の代わりはいない。
お客様の満足だけが報酬だ。
そのために毎日終電まで練習を繰り返す。
すばらしく明確で厳しい。
身に付けた技量だけが自分を救ってくれる。
そこで私は本当の仕事というものを学び直した気がする。
コミュニケーションはできて当たり前。
ただしお客様とのコミュニケーションに命を懸けるから、
同僚との間は容赦なし。
パワハラとかモラハラなんてものは存在しない。
できれば王様、できなければ奴隷だ。
仲間内で言葉遣いに気を遣う暇などない。
その世界は嫌いじゃなかったが、
2年半ほど続けたところで母の体調が悪化して
責任持って挙式に出られなくなったこと、
私のセンスと能力の限界もあり断念した。
また振り出しに戻ることとなる。
そしてもう一度、講師として人前に立ってみようと思ったのがそのときだった。
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